喫茶 宮崎

ひとりごと、たまに同居人。

全てが面倒だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

全てを投げ出してしまいたい。

 

どうも、絶賛自暴自棄中の宮崎です。

 

漠然とした将来への不安や、日常のストレス。いつもは何とも思わないことも、今は嫌だ。ああ、全てがとても面倒だ。

 

僕の場合は、肩こりと睡眠不足が原因になっていることが大体なのですが、

自暴自棄になると限界まで過食をしてしまったり、イライラが止まらなくて身体を傷つけてしまったりするので何かと面倒です。

寝ればいいのだが、寝たくないし、眠れない。

 

毎日毎日、終わりのない生活を続けているしんどさが、こういう時に爆発してしまう。

とてもやめたいが、必要でもある気がする。

毎日を楽しく生きようと努力はしているが、365日楽しくしようとしたら、とても疲れる。

 

疲労困憊、自暴自棄、昼夜逆転自傷行為

 

ダメだ、僕はこんなことを書きたいわけではない。。。

 

ま、いいか。

明日からまた、進んでいこう。今日はしばし、お休み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の周りの、努力の天才、遊べる変態。

昨日はブログ更新できなかった・・・!

なぜなら!遊び惚けてしまったから!!楽しかった!!最高!!(笑)

 

というわけで、早々に毎日更新の記録は途切れてしまいましたが、今日からまた気が向くままに書いていこうと思います。

 

 

さあ、突然ですが、あなたの周りにはどんな方がいますか?

 

僕の周りには、尊敬する多種多様な変態がおります。

 

昨日はコンサルをしている同居人と、IT関係に勤める同居人の友人と、遊んでおりました。

(同居人とのことは、この先漫画にしていく予定です)

 

2人とも優秀で、変態なのです。

 

どんな変態かというと、今までにしてきた膨大な勉強の量、その結果としての高学歴、そして知識欲の高さ。

また、今も絶えず学び続ける姿勢、しかし遊ぶときは全力で遊ぶ気持ちよさ。

アホみたいにお金をかけ、頭をフル回転させながら全力で遊ぶ時間は、こころから楽しく、変態極まりないと思います。

 

今も(16:00)二日酔いですが、その状態でも活動できる、後味の良い二日酔いです。

 

 

昨日は居酒屋とシーシャバーに行ってきました。

お酒を飲みながらダーツをしたり、シーシャを盛大に吸ってむせたり(へたくそ!)楽しい時間でした。

 

居酒屋では食事と会話メインなので、頭を使って色々な話題で楽しみましたが、シーシャバーでは頭が空っぽの状態で遊んだので、2人の素の面が出ていて、新鮮でした。

 

僕には、学歴も今まで頑張ったこともないので、いつも少し壁のようなものを感じながら遊んでいましたが、シーシャのおかげで、この人たちも普通の人たちなんだ、と少し安心しました。

 

元は変わらないけれど、努力量で壁ができている。壁を作っているのはこちら側。

この社会は、努力量でポジションが決まっている。

それを再確認出来て、自分も自分の望む方へ努力していこうと、改めて思いました。

そして、2人と少しでも同じ目線で物を見て、話がしたい。

 

周りに、自分よりはるかに優秀な人がいると、学ぶことが多くて退屈しません。

そして、目指すところも見えやすくなり、進んでいきやすい。

 

自分の周りにいる人は、自分を形成する要素の一つ。

どんな人がいるかで、自分の人生は変わってきます。

 

自分の進みたい未来に向けて、周りにどんな人を置けるか。

それは自分の行動次第。

 

恐れず行動していけば、望むような人たちが自分の周りに集まってくれますよ。

私の周りの、楽しい変態のような人たちが。

 

 

「行かない」VS「行けない」、そしてその先。

この前、Twitter(今はXですね)で

"不登校というのは、学校に「行けない」なのか「行かない」なのか、どっちだ"

というようなツイートを見たのですが、難しい問題だなと思いました。

 

正直、本人でないと、分からない感覚ですよね。

僕は、行けないと見せかけた、行かない方の生徒でした。

身体症状的には行けないが、身体症状を出させているのは行かないと決めた気持ち。

 

完全に行けない時もありました。

気持ちが落ち込み過ぎてしまったり、行かなきゃ、という気持ちの圧に押し潰されそうになったりしたとき。そんな時は、行けませんでしたね。

 

持論ですが、学校には無理していく必要は無いと思っています。

辛い思いをして、身を削ってまで行く理由は、今まで見つけたことがありません。

行かなければ自分の目標が達成できないとか、行かなければ後悔をする、と思うのであれば別です。

 

学校に行かなくても友達は出来るし、勉強もスポーツも青春も出来ます。

退学したって、その先必ずどうにかなります。

自分を大切にしてくれる人にも出逢えます。

 

ただ一つ、全ての選択は自分の責任。

どこかで、這い上がらなければいけないタイミングはあると思います。

でもそんなの、無理して悩むより簡単です。

 

悩んでしまうくらいなら、振り切って自分が喜ぶことに全力を注いだ方が100倍有意義です。

 

学校だけが、この世界の全てではない。

だから、「行かない」でも「行けない」でも、何であっても、何があっても、大丈夫。

 

(^^)◎

 

 

 

V系と地下アイドルとガチ恋フィルター。

ガチ恋、したことありますか?

 

昨日、某ヴィジュアル系バンドのライブに行ってきました。

そのバンドは、10代の頃によく行っていたバンドです。

懐かしい気持ちになりました。。。僕にとっての青春は、ヴィジュアル系バンドなのです。

 

その帰り道「あれ、なんだか昔より、遥かに後味がいいぞ」と思いました。

なぜだ。

それは、ガチ恋フィルターが取れたからですね。

 

ガチ恋は、本当に楽しいし、毎日がバラ色です(本当)。

しかし、大好きなメンバー中心に世界が回っているので、ライブで目が合ったり、ファンサをしてもらわないと「こんなに好きなのに!」と気が済まなかったのを覚えています。(怖い)

隣にいたファンの方がファンサをもらったもんなら、悔しさと嫉妬で家で泣いてました。(怖い)

今考えると、本当にアホですね。若気の至り。メンバーに土下座。

 

 

しかし、昨日は穏やかな気持ちでライブを楽しみ、穏やかな気持ちで帰路につきました。

今も良い余韻が残っている。。。最高です。

 

最近は地下アイドルを観に行くことが多いですが、ガチ恋フィルターかかっている方が沢山いますね。

昔の僕みたい。楽しそうで何よりです。

僕は、後ろの方で酒を飲みながら、可愛い推しを眺めるのが至福の時です。

アイドルは、自分から「沼ってください!」と言うくらいガチ恋誘導をしていて驚きました。

体張ってますね、尊敬。

 

アイドルも、ヴィジュアル系も似たようなところがあり、僕はこういう演者と客の距離が近い、マイナーな世界が好きなんだなと思います。

とても楽しいし、落ち着く。

 

でも、推しが自分の生活の中心となってしまうと、精神も金銭も、何もかもが狂う世界。

 

マイナー世界、ガチ恋フィルター、恐るべし。

 

僕の記事を読んで、スターをつけてくださった方々、ありがとうございます!

嬉しいです。

毎日更新、目指します。★

 

宮崎

 

 

 

「食べたい」の支配。

昨日、ふと思いました。

 

家に帰るとき、必ず最寄りのコンビニで食べ物を買っているなと。

アイスとか、パンとか、お菓子とか。

そして、それを食べながら帰ってしまうなと。

 

食べたい、しか頭になくて、家まで我慢が出来ないのです。

こころが辛いとき、食欲が頭の中を支配している方は多いのではないでしょうか。

そして、食べたことに対して罪悪感に苛まれることも多々あるのでは。

 

僕もそうでした、そして今もあります。

 

過去に精神的に崩れたとき、僕は摂食障害に足を突っ込んでしまいました。

不安で、悲しくて、寂しくて、空虚で、耐えられなかったから。

 

その時期の記憶は、ほぼ残っていませんが、体重が減少した時期は1日にあんぱん半分も食べていなかった記憶があります。

逆に体重が増加した時期は、吐きそうになるまで食べていたと思います。

ただ、絶対に吐かない、ということだけは決めていました。なぜだろう。

多分、まだ理性が残っていたのでしょうね。

果てしなく辛かったという感覚だけが、鮮明です。

 

そんなことが過去にあり、「食べる」ということに関して、今でもうまくコントロールができません。

家までの帰路で一度「食べたい!」と思ってしまったら、どこにいても買い食いをしてしまいます。

うつ抜けして1年ほど経ちますが、ご飯茶碗に丁度良い量をよそることが出来ないなど、まだ自分のキャパが分かりません。

 

昔だったら、買い食いをした自分に罪悪感をこれでもかと抱き、自分を責めていたと思います。

でも今は「今日を生きたのだから、パンくらい良いじゃないか!」と思っています。

こころが元気ならOK、こころが生きていれば大丈夫、くらいで。

 

とにかく私は「何事も60%の力で取り組む」がモットー。

バイトも、家事も、このブログも、食べることも。

残りの40%は、意識的にこころを保つために空けておく。

 

自分のことは自分で守ってあげる。

 

自分の一番の味方は、自分。永遠にそばにいる味方です。

 

だから、自分を責めすぎないであげてネ。

 

 

 

 

星野源という人。

星野源

 

誰もが一度は名前を聞いたことがある人物。

 

大袈裟ではなく、彼の作品がなければ僕は今ここに生きていません。

 

この文章を書きながら、星野源の「不思議」という曲を聴いていますが、本当に星野源という人物は、不思議、だと思います。

まず、彼の楽曲や紡ぐ言葉達には、どんな感情にも合う曲・言葉が必ずある。

幸せなとき、絶望したとき、少し後悔したとき、誰かを愛したいともがくとき。

欲しい言葉が、こころを締め付けられるような言葉が彼の楽曲には詰まっていて、いつもいろいろな形で救われてしまう。

なぜそんな表現ができるのか、本当に不思議だと思います。

 

特に、言葉の選び方が素敵だと思います。意図せず涙が出てくるほどに素敵。

 

「ギャグ」という曲の歌詞に「今を捲って 命動き出す」という歌詞があります。

今を捲るという感覚。

時間を、毎日を捲るという感覚。

僕は、このワンフレーズだけで今を生きていけるほどに、胸を打たれ続けています。

物語と映画と人生を重ね(多分)、そこに星野源のエッセンス。

最高の組み合わせが織りなす一曲は、傑作としか言いようがないように思います。

 

何気ない日常の絶望も幸せも、歌って描いてくれる、偉大な人物。

僕は本当に、不思議なほどに好きです。

こころの喫茶店。

初めまして。

見に来てくださり、ありがとうございます。

 

はじめての記事ですので、簡単に自己紹介。

東京在住。

趣味は、絵を描くこと、ライブに行くこと、喫茶店で本を読むこと。

絵はたまにお仕事としても描いています。

私的に、ライブハウスも喫茶店も、心身が休まるので好きです。

 

過去に精神的に崩れて、暗黒の数年を過ごしました。

消えたくても消えることのできないもどかしさを抱えながら。

今は、どん底から這い上がり、毎日を生きています。

辛かった時期の経験から、今こころが落ち着かない誰かが、こころを休められる空間を創りたいと思い、ブログを開設しました。

私にとっての喫茶店のように、休まる場所を。

 

いつか、目の前の景色に、色がつく日は来る。

 

僕の描く絵は、僕の味方。僕の紡ぐ言葉も、僕の味方。

そして、見知らぬ誰か、この文章を読んでくださっているあなたの味方でありたいです。

 

 

2023.08.07 宮崎